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森林をいかす家づくり-1
僕らの「森林をいかす家づくりの会」が
考えていること、目指していることを2回にわけて書きます。
「森林をいかす家づくり」について僕は語ろうと思います。
それは理想かもしれません。
でも、その理想に少しでもこの現実を近づける事が大切なのであって
理想を否定することも、現実を否定することも、どちらにも意味がないと思うから、僕は理想について語ろうと思います。
「皆伐(かいばつ)」から「択伐(たくばつ)」へ。
「生産主義」から「生態主義」へ。
僕が考える理想はそこにあります。
<1、まずは僕が知っている現実から>
僕は林業関係者ではありません。
だから、本当の意味での林業の大変さを知らないで書いています。
それは本当はいけないことだと思うのだけれども
木の家づくりの理想について語るためにはそういうことも必要だ、そう思って書いています。
実際に林業に従事している方へ。
間違っていると思うことなどあったらどんどん意見してください。お願いします。
人は木を使いながら森林との関係を培ってきました。
しかし、木はただ使えばいいというものではありません。
森林生態系のバランスを保ちながら木材を伐採することが大切です。
そして、人はちゃんとバランスをとりながら森林とつきあってきたのです。
しかし、過剰な「皆伐」が森林生態系のバランスを崩してしまいました。
過剰な「皆伐」が生んだ、樹齢のそろった不自然な森林は
現代の我々に負の遺産として重くのしかかっています。
それを未来にむけてどのように変えてゆけばいいのか。
変えてゆくべきなのでしょうか。それを考えることが大切です。
その前に、なぜ森林がバランスを崩してしまうことが危険なのでしょうか。
山の緑は、大地に降り注ぐ雨を土の中蓄えて、少しずつ下流に流してくれます。
我々が水を安定的に手に入れているのは山の緑のおかげです。
また、山の緑は土砂が流れ出ないように根っこでささえています。
山の緑が失われれば、土砂は川に流れ込み、川は濁って、川にすむ魚などの生物の生活環境を壊してしまうことになります。
そんな大切な山の緑なのですが、手入れが行き届かず荒れてしまい、いまその緑が失われようとしているのです。

(↑手入れがされないで荒れている森林)
最初に、山が荒れると緑が失われると書きました。それは、山の手入れを怠ると緑が失われるということです。しかし、大自然が抱える森林は人の手入れなど必要としていません。手入れをせずとも緑は失われずちゃんとそこで生き続けています。
本来、自然であるとは、植物、動物、微生物をすべて含めた生物がお互いの関係をバランスよく保っている状態のことです。そのバランスの力、それは生命の力といっても良いでしょうが、その力によって、森林が抱える多くの生物は、なんら人為的な手助けをせずとも、ちゃんと生きているのです。
一般的に樹木は密集した環境だと細く長くまっすぐに育ちます。
まばらなところでは、根本が太くて先端が細いように育ちます。根本が太くて先端が細い育ち方を「うらごけ」といいます。
また、密集して育つと木の細胞は密度が高くなり性質として堅くなります。逆にまばらに育つと細胞は密度が粗く、性質として柔らかくなります。
戦中、戦後に建築用材として大量に山の木が切り出されました(特に戦時中)。それは一山丸ごと切り倒すというようなやり方です。そういうやり方でなければ大量に必要とされた木材の需要を満たすことができなかったからです。
このように、ある範囲の木をぜんぶ切り出すことを「皆伐(かいばつ)」といいます。「皆伐」された部分ははげ頭になっています。山沿いの道から時々そういう風景を時々見かけますね。はげ頭のままでは困るので、その部分に苗木を植えて次の世代の木を育てることになります。
「皆伐」では一斉に植林されるわけですから、そこにある木の年齢は一緒です。同じ樹齢の木で構成された森林というのは、自然にはありえません。それは人が人為的に作り出したとても不自然なものです。
苗木を植える時には、良質な建築用材を採りたいと思うわけですから、もちろん先ほど言った「うらごけ」にならないように、そして木の細胞が粗くならないように育てたいところです。そこで、計画的に樹木を密集するように植えます。
密集するように植えて、ある程度成長してきたら、「間伐」といって間引いてあげます。また、建築用材にした時に出来るだけ節がでないように、こまめに「枝打ち」といって、木の下半分の若い枝をナタで切り落としてゆきます。
しかし、樹齢がそろった森林というのは、先ほども言ったように自然界にはない森林としては大変バランスの悪い状態になっているのです。
木が若いうちは自然に生えてくる草の方が成長が早いために、「下草刈り」をしないと苗木が草に覆われてしまって負けてしまいます。
このように、「皆伐」を行い、良質な建築用材が採れるように次の世代の木を育ててゆくためには「下草刈り」→「枝打ち」「間伐」という作業をこまめにやり続ける必要があります。この労働が大変なわけです。
そうした労働は大変過酷であり、なおかつ相当な時間をつぎこまなければなりません。そのように労働力を森につぎ込めると良いのですが、それが難しいということが今の日本の大きな問題なのです。
ともかく、造林作業に労働力がつぎこむことを難しくしている原因は大きくふたつあります。
ひとつは、森林を育てる作業が肉体を酷使した重労働であるために、林業に就こうという人材がどんどん減ってゆく傾向にあること。
もうひとつは、海外からの安価な建築用木材が大量に輸入されているために、日本の木材は原価割れをするくらいの値段でないと売れないこと。つまりは儲からない、商売として成立しないこと。
重労働で商売にならないのでは、だれもやらなくなるのは自然の成り行きですね。
日本の山が抱えている問題の根はとても深いのです。
| 森をいかす家づくり | 14:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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