<< 森林をいかす家づくり-1 | main | 第十一回 大多喜の森を訪ねる見学会のご報告 >>
森林をいかす家づくり-2
<2、理想に限りなく近いところから>--1から続く--
しかし、今もう一度考えてみれば、「下草刈り」「枝打ち」「間伐」などの過酷な労働を強いられる林業というのは「皆伐」による一斉造林によってもたらされているのではないかということです。
「皆伐」がバランスの悪い森林を作り出すことについてはすでにふれました。
森林は本来、若い木もあれば老齢な木もあって、さまざまな大きさの木で構成されています。
「下草刈り」にしても、そうゆうさまざまな樹齢が混じった森林では、下草は猛烈な勢いで成長することはありません。樹齢の高い大きな木が影をつくって草の生長を抑制するからです。
秋田の樹齢300年をこえる杉林では「枝打ち」は必要ないのだそうです。さまざまな樹齢の木がバランスよく育っている森林では、木の不要な枝葉自然に落下すると、秋田で木の家づくりの活動をしている人は言っていました。
「間伐」についてはどうでしょうか。使いたい木を適宜選択して切り出してゆく作業が「間伐」作業となりますから、これも余計な労働ではなくなります。
「皆伐」に対して「択伐(たくばつ)」という方法があります。
建築用材として使えるほどに十分に育った木を一本一本選定して切り倒す方法です。
「抜き切り」とも言われます。これはさまざまな樹齢の木がバランスよく育っている森林にとっての「間伐」をやっていることになるのです。

本来、人間は木を使い始めた時から、日常的には必要な分だけ森林から切り出してきて使っていました。日常的と書いたのは、奈良の大仏殿などの巨大造営物を建造する時や、都が大火で焼けてしまってような災害のあとでは事情が違ったからです。しかし、そういう事例は特殊な事例であり、緊急事態への対応ということですから、「皆伐」という行為が日常的に行われていたわけではありません。日常的には「択伐」が行われたと言えます。
さまざまな樹齢が混じっているバランスの良い森林から、必要な分だけ木を切り出してくるということが出来れば、それが森林=自然と人との理想的な関係になるはずです。
「どろがめさん」こと高橋延清さんの「林分施行法」という本があります。
北海道の東大演習林で実践されていることが書かれているのですが、この本の中でもどこがめさんは「皆伐」ではなく「択伐」への移行をうながしています。
北海道の東大演習林は規模も大きく国立大学の研究の一環ですから、僕らのような個人的な活動と比べて考えるわけにはいきません。
しかし、どろがめさんの考えていたことのまね事でも良いから
少しでも近づいた森林とのつきあい方をしてゆきたい。
それこそが森林(もり)をいかす家づくりになると考えています。
多くの林業に関係する人が、こうした理想像を良く理解しています。
出来ればそこに少しでも近づきたいと考えています。
しかし、さまざまな理由でなかなか実現できません。
ここまで、「皆伐」はだめで「択伐」が良いというかたちで書いてきましたが、
「皆伐」にも良いところがあることを書いておかないといけません。
「皆伐」という方法をとらなければ難しいこともあるのです。
やはり、急峻な斜面の木を切り出して里まで下ろしてくる作業のことを考えると、大型トラックが横付けできる林道まで一斉に切り倒す「皆伐」のやり方の方が、無理なく少ない力で効率的に木を運ぶことが出来るでしょう。
また、本当に大量の木材が必要とされるような緊急事態には「皆伐」は避けて通れないと思います。
さて、僕らが活動をしている千葉県ではどうでしょうか。
僕らの仲間である斎藤造林さんは「択伐」で木を出してくれています。
それが出来るのにはさまざまな理由があります。
そのひとつは、斉藤さんの山林があまりにも広大なために戦後の拡大造林の時にもバランスを崩すほど伐採の手がはいらなかったことがあります。そういうわけで、斉藤さんの山にはさまざまな樹齢の木が混じった森林がちゃんと残っています。
それから、千葉の山はそれほど深くないこと。奥深くまで拡大造林の手がおよんでいなかったことがあげられます。「択伐」で切り出しても、意外と搬出が容易なのです。しかし、「択伐」だけではすべてをカバーできないことも事実。「皆伐」の長所と「択伐」の良いところをうまく組み合わせた林業が模索されています。

(↑「択伐」と「皆伐」の組み合わせで森林をいかす)
「皆伐」から「択伐」へ。
「生産主義」から「生態主義」へ。
そうした林業がささえてくれる家づくりこそが
森林をいかす家づくりであると、僕らは考えています。
| 森をいかす家づくり | 14:51 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
森との共生がもっと広まることを願います。
森は人々にただひたすら恵みをもたらす存在ですね。
このお話を読むと、本来の自然の姿がよくわかりました。
人間は恵みを受けつつ、同時に森を守っていく立場に
あるのだと思いました。
古の日本の自然観と古代HAWAI`IANの姿は 同じですね。

古代HAWAI`IANは森の資源を、必要な分だけいただいたら
それで充分満足していました。
必要以上にとることをしなかったため、
貴重な資源も生態系も長く守られてきました。
それが大自然との調和であることを充分知っていたのです。
人間はその調和の中に溶け込んでいる自然の一部なのだと。

ともすれば忘れがちな 「自然への畏怖の念」を
古代HAWAI`IANは 代々継承していきました。
これがHULAの発祥です。

「生態主義へ」大賛成〜。
千葉の木を、そして森林を活かすって
奥深い意味がありますね。
未来の子供達へ智慧と恵みを
受け継いでもらうべきものと思います。


| ぽっぽ | 2006/04/25 4:34 PM |
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://moriiki.af-site.sub.jp/trackback/11674
トラックバック